上野焼(あがのやき) 秋の窯びらき 庚申窯 遠州七窯(えんしゅうしちよう)
2008-10-14 00:16
皆さんは、上野焼を御存知でしょうか?
「うえのやき」ではありません、「あがのやき」ですよ。
上野焼は茶人・小堀遠州の好みとされる遠州七窯の一つに数えられる「超」有名な焼物です。(右の写真は、わが家の菓子入れです)
小堀遠州(こぼりえんしゅう)も、遠州七窯(えんしゅうしちよう)も御存じない?
う〜ん ・・・・・ ・・・・・
小堀遠州は江戸時代中期の茶人、近江小室藩の藩主で小堀政一と言います。
茶人、建築家、作庭家としても有名で、遠江守に任じられたことから一般には小堀遠州と呼ばれています。
遠州七窯とは、小堀遠州が全国にある窯場で自分好みの茶器を焼くことで賞賛した、七つの産地の総称であると言われています。
七つの窯とは、志戸呂焼(遠江:遠州)、膳所焼(近江)、朝日焼(山城)、赤膚焼(大和)、古曽部焼(摂津)、上野焼(豊前)、高取焼(筑前)の七つの窯のことですが、福岡県からは上野焼と高取焼の二つの窯があります。
本当に名誉なことですよね。
(下の写真は、「こんなのあったら良いな〜」と言ったら庚申窯(こうしんがま)さんが作ってくれた灰皿、すこし変化を求めて粗土で作ってもらいました ・・・・・ タバコで畳を焦がした直後だったので形に工夫があります。絶対にタバコが外に落ちないように)
高取焼と上野焼、実は ・・・・・ この二つの窯は隣接していたのです。
高取焼は現在、福岡市早良区にありますが元々、福岡県直方市にある鷹取山の麓で焼かれており、朝鮮出兵の際に陶工、八山(八蔵重貞)を連れ帰って焼かせたのが始まりで、窯場には永満寺・宅間窯、内ヶ磯(うちがそ)窯、山田窯があり、これらを「古高取」と呼んでいます。
高取焼のふる里である直方市永満寺地区と、上野焼の福智町上野地区とは筑前の国と豊前の国と、国(藩)は違っていますが地理的には隣接をしているのです。
直方市の永満寺地区はわが家のお寺、明元寺のある場所ですから、この二つの窯は私にとって郷土の誇りとも言うべき窯なのです。
オッホン!
(下の写真は、わが家の煎茶セットです。もちろん実用品です)
さて、上野焼の特徴は、「薄い」こと、「軽い」こと。
したがって衝撃に弱く、茶碗など他の食器(瀬戸物)と一緒に洗うと、ほぼ間違いなく上野焼は割れてしまいます。
極めて繊細な焼物ですから、取扱には十分すぎるほどの注意が必要です。
釉薬(ゆうやく)は「青緑釉」が最も有名で「上野焼と言えば」 ・・・・・ と、言われるほど代表的なものですが、実際は青緑釉、鉄釉、白褐釉、黄褐釉など様々な釉薬を用い、窯変(窯の中で釉薬が溶け、千変万化の模様を作り出すこと)を生み出すのが特徴です。
絵付けはしません。
(左の写真は戦前に発刊され、戦後に復刻されたた上野焼の文献、父の遺品です)
私が子どもの頃、代表的な青緑釉は「これで茶を飲むと中風にならない」という話があったことを記憶しています。
もちろん、医学的な根拠があるとは思えませんので迷信でしょうが。
上野焼の歴史は ・・・・・ 豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に加藤清正公に従って来日し帰化した李朝陶工・尊階(上野喜蔵)が始祖。
その後、豊前藩主になった細川忠興公(三斉)の招きにより豊前の国・上野に登り窯を築いたことに始まります。
1602年のことですから、もう400年を超えます。
上野焼に関して長々と書きました。
何故かと言うと ・・・・・ 今年も来ました、上野焼の窯元からのお知らせが。
上野焼・秋の窯びらき
10月24日(金曜)〜26日(日曜)
私のところには庚申窯(こうしんがま)さんからハガキが届きました。
右の画像をクリックすると拡大して御覧いただけます。 (PDF 92KB)
庚申窯というのは上野焼の窯元の一つで、私の最もお気に入りの窯元です。
わが家にあるものの中で古いものは別ですが、最近のものは全て庚申窯さんのものです。
とってもアットホームな雰囲気を持っている窯元で、「あんなのがあったら良いな〜」「こんなのがあったら良いな〜」なんて話をしていると、次に行った時には ・・・・・ あったりして ・・・・・
皆さんも是非、立ち寄ってみてください。
上野焼 http://www.earthland.jp/agano/index.html
庚申窯 http://www.earthland.jp/agano/kama/koushin.htm
福岡県田川郡赤池町上野1937
0947-28-2947
