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掛軸(かけじく)三絶僧・平野五岳(ひらのごがく)西郷隆盛の肖像画

我が家には父が残してくれた数多くの掛軸(書と画)がありますが、一つの傾向として郷土に縁(ゆかり)のある作家が多いことがあげられます。
その中で目立って多いのが「平野五岳」と「吉嗣拝山」です。
最近の家造りでは床の間の無い家が殆どですから当然、古臭い掛軸を架けることも無いでしょう。
したがって「平野五岳」や「吉嗣拝山」と言って知っている人はまずいないでしょうね。
もし知っていたら相当な「通」です。
私も父がいなかったら当然、知らないでしょうからね。
幸いなことに? 我が家は純和風の家ですから座敷と続き間があり勿論、床の間もあります。
知らず知らずのうちに掛軸に親しむ機会もありました。


父は二十四節気ごとに掛軸を架け替えていましたから年に24回。
それ以外に正月やお盆、法事のときなど慶弔にあわせて架け替えていましたので年に30回ぐらいでしょうか。
私も受け継いでいますが手抜きをして月に一度ということにしています。
さて、少しだけ薀蓄(うんちく)を語っておきましょう。
平野五岳は大分県日田市出身の南画家(文人画家)ですが本職はお坊さんで真宗大谷派専念寺の住職です。
地元では「五岳上人」と呼ばれて親しまれていたそうです。
「三絶」とは、「詩」「書」「画」が揃って一幅の絵の中に調和させる事ができると言う意味ですが、「海屋」「逸雲」「對山」「小華」「幽谷」「杏雨」「直入」「清嘯」などという明治の錚々(そうそう)たる実力者の中にあって「三絶僧」と呼ばれたのですから力量のほどが窺い知れます。
その平野五岳、5年前に脚光を浴びたことがあります。
五岳が描いた西郷隆盛の肖像画(右の写真)が発見されたと言うものです。
これまでは西郷隆盛の肖像画は実際に会った人が描いたものは無いと言われていた中で平野五岳は唯一、実際に西郷に面談している人物なのです。
正確なことは覚えていませんのでネットで調べてみました。
以下は2003年8月26日付け共同通信社の記事です。


【晩年の西郷隆盛を描く  画家平野五岳が掛け軸に】
明治維新で活躍した西郷隆盛(1827−77)の晩年の姿を描いた掛け軸が大分県日田市本町、元小学教諭川津信雄さん(73)方に残されていたことが26日分かった。
西南戦争直前の西郷を、その没後、約10年たって文人画家平野五岳が仕上げたとみられる。
掛け軸は縦136センチ、横38センチ。平野五岳は日田市の僧で、県知事の政治顧問を務める一方、文人画家としても知られ、1万点以上の書画が残る。
肖像は、西郷と親しかった大久保利通に頼まれ、西南戦争を思いとどまらせようと西郷に会った時の姿とされる。  
これまで西郷のイメージは、イタリア人画家が描いた軍服姿や上野の銅像などによって、威風堂々とした姿が一般化している。
しかし、掛け軸の西郷は、死に至る西南戦争以前の48−49歳で、年齢相応の枯れた風格を漂わせる。
2003/08/26 09:59  【共同通信】


たしかに一般に知られている肖像画(左の写真)とは少々違うようですね。


長くなりますので、もう一方の「吉嗣拝山」のお話は後日としますが、上に掲載している床の間の写真は我が家のもので掛軸は「吉嗣拝山」です。

それでは最後に「五岳辞世の句」と、私が平野五岳を好きになってしまった大好きな句を紹介しして終わりにしましょう。

まずは「五岳辞世の句」

いざ西に 向かいて お先に出かけます そろそろござれ あとの連中

最後は私が大好きな句

我が好きは,酒と肴と,碁と相撲,金と,女は言うまでもなし

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